今朝は久しぶりにトラディショナルなゼンタングル。
使用したパターンは、ミュンヘン、錨爪、羽ばたくタイル。
自分でもベタ塗りが雑かなぁと思う。これには仕方ない事情があって、細かいところがよく見えないんだよね(笑)。特に夜間は、シニアグラスかけて何とかやってる状態なので。
で、以前にも書いたけど、アメリカの本家?のテキストも、かなりアバウトなフリーハンドだったりして、それが気に入らないという人もいるみたい。で日本人のアーティストはどうかというと、やはりすごく丁寧(正確、精密)に描き込まれている。国民性の違いなんだろうね。
私個人の考えでは、きちんと描くに越したことはない。仕上がりの満足度がやはり違うから。
なんだけど、職人的な、あるいはコンピューターのような正確さにはこだわらないほうがいいとも思う。
だって追求しすぎると(本来の目的)精神の安定を得るどころか、逆効果になるように思うから。考え始めるとそれだけでもう怖じ気づいて手が動かなくなってしまうけどね、私の場合。
そもそも正確性にこだわるならゼンタングルではなくCGをやるべきだよね。お手軽にフリーハンドではできない技があっというまに表現できるのだから。繰り返しの細かい作業とか大得意じゃないですか。でもゼンタングルが目指すものはそれではないはず・・・
私はゼンタングルを正式に習ったことはないんだけど、下描きなどほとんどしないうえ失敗がないという考え方は、描くプロセス自体が目的であって、仕上がった作品はその副産物に過ぎないのではないか。
だからそういう意味で、ゼンタングル作品を販売するってのはどうなのかなぁ。たぶん、写経を売るようなもんだよね?作品は自分の心を見つめ直した『過程』というか足跡であって、すごくプライベートなもののように思うので。
だからゼンタングルのノウハウを有償で教えたり、テキストを販売するってのはありだけど、自分の作品を商品として売るのはどうなんだろう。いやもちろん、買う人がそのへん了解した上で買うのなら全然いいんだけど。
(うん、私の描いたものが欲しいって人が現れたら、素直に嬉しいと思うよ!!いればだけどね(笑)でもそれより一緒に描かない?って仲間に誘うかもしれない)
あー・・・
でも、それを言うなら現代の多くの『アート作品』と呼ばれるものは、作家のプライベートの表出とも言えるか・・・
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