世の中に満ちている、な~んだについて

若い頃、お互い生活に追われて大変だねって

戦友のように励ましあってた人が、なぜだか毎年のように

海外旅行したり、焦って仕事を探すわけでもなかったり、

はたまた家(それも大きな!)を買ったりしてるのを見て

なんでそんなことができるのか不思議だった。

ずっと後になって、彼女の実家がそれなりの

お家だったことを知り、な~んだ、と思った。


また、私と同じようにフルタイムで働きながらも

子供のスポーツや学校関係で

精力的に活動されてる方がいて、

あぁ私にはできないことだわと

私は彼女をリスペクトしていた。

(と同時に、できない自分に対して失望していた)

これもしばらくして、彼女がそれなりの仕事を持っていて

日常的にチャイルドシッターを雇っているのだと知り、

な~んだ、と思った。


何が言いたいかって言うと、

私は私で、結構がんばってたじゃん!ってこと。

大きな後ろ盾がなくても、経済的にキビシイ中でも、

自分でできる精一杯のことをしてたってこと。


そりゃあ、私よりキビシイ環境であっても、

がんばる人はがんばるんだろうと思うよ。

そして、私に大きな後ろ盾があったとしても

彼女たちのように精力的に活動してたかはわからない・・・けど

(たぶんしなかった)


でも、少なくとも、

自分はなんで同じようにできないんだろうって

くよくよ悩む必要はないんだと思う。

私は、私なりに最善を尽くしてきたんだから。

で、ちょっと話が変わるけど。


ネット上で知ったある若いアーティストの作品展を

観に、都内某所へ行ったことがある。

期待に胸はずませて会場に入ったが、

作品を初めて目の前で見た感想は、

「なんじゃこりゃ」

というものだった。

展示された「作品」の数々は、

私の目には、手芸好きの主婦(つまり私など)が

作る作品と大差なかった。

アンビリーバボーな値が付けられているそれらを見て、

思わず、

こんなんでいいの?

なら私だって作れるわ。とつぶやきそうになった。

見る人が見れば、何かが違うのだろう。

けど、私にはそれをアートと呼ぶ

クオリティだとか感性だとかを

全く理解できなかった。


さらに、とあるセミナーに参加したときのこと。

自己啓発的な内容は、スピリチュアルジプシーな私にとっても

新しい切り口で、そのときは新鮮であった。

がしばらくして、後に読んだ本と、そのセミナーで聞いた内容が

ほとんど同じだということがわかってしまった。

なぁんだ。これならわざわざ高いお金払って聞かなくても

よかったかも?!(苦笑)

新しい考え方を知ったという意味で

別に損した気分にはならなかったが、

そのとき気づいたのは、

これなら私にもできるかも?

ということだった(笑)。

もちろん、

いいな、と思う情報に触れても、

とりあえずそれを自分で試してうまくいった実績がないと

なかなか人にはすすめられないんだけどね。


・・・とにかく、世の中は

「な~んだ」に満ちている。

タネを知ってしまえば、自分をそんなに

責める必要も、落ち込む必要もないんだって

わかるというもの。

気楽にいきましょう。









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