電磁波過敏症を発症した初期のころ、私がとった行動。
それは、いま自分に起こっていることを
広く第三者に知ってもらうことだった。
将来、同じようなことで苦しむ人は確実に増えるだろう。
そのような人たちの助けになるよう、
私の身に起こったことを、社会のどこかに残しておくことは
私の義務であるとさえ感じていた。
信じてくれようとくれまいと、記録に残しさえすれば
いつか誰かに届く。
それが社会を動かすひと押しにつながるのかも。
・・・なんて大層なことを当時意識していた
わけではない。けれども、今振り返ると
自分がなぜ(相手にされないとわかっていても)
動かずにいられなかったのか、これは
やはり証拠を作るために突き動かされていたのだと
しか思えず。
理解してくれない人が多ければ多いほど
伝えなくてはと思う気持ちが強くなっていた。
一応、各所の反応を残しておく。
マンション管理会社
何度か電話したけれども、説明するのは本当に大変だった。
対応してくれた男性の中には、電磁波過敏症を知っている人もいた。
確認できたのは、
とりあえず現在、携帯の基地局はこのマンション屋上には無い。
設置するなら必ず管理会社には連絡が来る。
頭に響く低周波については、家じゅうのブレーカーを落として
変化があるか確認するよう言われ、夜実行してみたが
音(振動?)は変わらなかった。
話は聞いてくれたし、言葉は丁寧だったけれど
言わんとすることは、過敏症は体質の問題であって
会社側としてはどうしようもないということだった。
乱暴に言ってしまえば、自己責任・・・だけど
彼らに解決を期待するのは無理だと悟った。
警察
私はきっと世間知らずのおばちゃんに見えるだろう。
が、犬も歩かなければ何も始まらないのだ。
近所の警察署の生活安全課だったかで話を聞いてもらった。
壁の裏にある電柱だけでなく、リビングの窓からでーんと
みえる電柱の変圧器が私の健康を脅かしていると。
鋭い眼光の年配警察官は途中でメモを取るのをやめ、
これは警察ではどうしようもないと言った。
(私の心の声:ハイハイそうでしょうね。でも記録を残してほしいのです)
どうしてもと言うのなら、電力会社を相手に裁判しなさい。
溜息が出た。
圧倒的な力を持つ電力会社を相手に?
吹けばとぶよな私が、たった一人で?
結果が見えている裁判を?
時間もお金もどれだけかかるかわかりはしない。
引っ越したほうが早いですねと私は力を落とした。
諦めるなとばかりに裁判を勧める警察官。
まだ若いんだから、しっかりしなさいよと
変な慰められかたをした。
公的な記録としては絶望的だった。
でもこの人の記憶の片隅にでも残ればいいなぁと
非常に消極的な思いで私は警察署を後にした。
電力会社
本丸ですね。いやむしろ電柱をどうのこうのという話であれば
何より先にここに言うのが当たり前なんだけどね。
超巨大企業である彼らが、五月蝿いことを言う
一個人をあしらうためのマニュアルが完備されているであろうことは
容易に想像されるし、それがどういう展開になるかも
事前にネット情報でつかんでいた。そして実際、笑っちゃうほど
まんまの対応だった。
それでも、HPのわかりにくいところに一応は
電磁波の調査を依頼するフォームがあり、それからコンタクトを
試みるとほどなく訪問日時を確認する電話がかかってきた。
平日の夕方に訪れた担当者は若い男性2名だった。
彼らの名誉のために言っておくと、まぁごく普通に
丁寧な対応だった。私が言うままに、家の各所の電磁波を
測定してくれた。
そして、いずれも「国が定めた基準値」(ハイ出ましたよ)より
ずっと下だと告げられた。パンフレットを私に見せながら
説明してくれる。
きっと私のことを、よくいる無知で神経質なおばちゃんと
思っているんだろうなぁと思いながら、長男とあまり年が
変わらなそうな作業着姿の彼らの話を聞いた。
私は知っていることでも知らないふりをして聞き、
茶番のような想定どおりの問答をした。
彼らが手にしている測定器は、やはり市販の測定器より
ずっと低い値が出るよう設定されていた。
会社で教えられた知識をまんま伝える彼らだったが
一度だけ、本音が漏れた瞬間を私は見逃さなかった。
それは、リビングの窓から見える、例の大きなバケツのような
変圧器を見たときだった。
二人が声を揃えて、ああ・・・・と言った。
ベランダに出て測定してくれた。変圧器に近づければ
数値は上がるけれども、という感じだった。
2回の訪問を通して測定してもらったけれども、
電力会社としては打つ手なし。すみません。
で終わった。
他にはどこか行ったかなぁ。思い出したらまた書く。
世界は日本はもう引き返せない一線を越えて
しまったんじゃないかと思う今日この頃。
私は年齢を重ねるうちにあきらめと楽観主義が
同じように身についてきたけれども。
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