ペットロス

翌朝みんなで文ちゃんを見送りました。

いつも朝6時過ぎには歌を歌い、起きたことを知らせる小鳥ちゃん。今日は眠ったままです。・・・

都会のマンションでは、プランター葬という一択になります。
公園や空き地に埋めるのは違法というだけでなく、そんな見知らぬところの冷たい土に埋める気にはなれません。
私と夫は準備のために開店時間を見計らってホームセンターへ行きました。

最初の一軒ではピンとくる花がなかったので植木鉢だけを購入。そのまま少し遠くの店まで足を伸ばし、これはと思うバラの苗を見つけました。
大輪の白と、ミニバラの赤。文ちゃんの白い羽と赤いくちばしのイメージに合っていると思ったのです。

次男が文ちゃんの体をきれいに拭いてくれました。文ちゃんはさらに小さくなったように感じました・・・。
お線香や好きだった青菜や粟、パンをお供えし、夫が経文を唱え、冥福を祈りました。
(ほんとは文鳥にパンなんてあげてはいけないんだけど、甘やかしていたことをここに告白する)
ふだんクールで現実的な長男も後ろで泣いている気配がしました。

そしていよいよプランターに埋葬。これでほんとうにお別れです・・・。
土をかぶせたあとバラの苗を植えました。

晩秋の日差しが穏やかに花を照らしていました。
そうやって私たちなりの見送りをしたわけですが、だからといってすぐに心が落ち着くものでもありません。なにしろ突然の事故です。心の整理がつかず、それからも情緒不安定な日が続きました。
いわゆるペットロスです。仕事中にも不意に涙が出るので、マスクは外せません。

フラッシュバックにさんざん苦しめられました。そのたび、これが現実だなんて認めない!とばかりに、「嫌だ!」「嫌だ!」と叫び、首を振って悪夢をかき消そうとします。
部屋のあちこちでぶんちゃんと呼びかけます。
私の命を10年分ぶんちゃんにあげるから返してほしいと願います。(この取引の持ちかけは、ペットロスの典型的なものらしい)
ネットでひたすら検索して、亡くなったペットと会う方法を探る。
もちろんそんな方法あるわけないのだけど、このとき初めて『虹の橋』というものを知りました。
これはある程度慰めにはなったけれども、左脳タイプの私は、そんなの何の証明もないやん。と、つい思ってしまい・・・。
素直に信じられたら、きっと救われるのでしょうが・・・。

人によっては、ペットが亡くなった後もしばらくその子の存在を感じるケースがあるようだけど、私には霊感がないのか、正直、ぶんちゃんの気配を感じることは全くなかったです。
これは辛かったけれども、もしかするとぶんちゃんはさっさと次の転生に進んだのかな、というかすかな希望にもなりました。

ただ、部屋のお気に入りの場所に残っていたフンの跡や、食べ残しのエサ、落ちていた羽はぶんちゃんが確かに生きていた証であり、しばらく片付ける気にはなりませんでした。

ぶんちゃんが生きていたとしたら、私は片付けるだろう。生きていようがいまいが、片付けなくては。と思えるようになったのは、一週間過ぎたあたりだったでしょうか。



つづく






ねこのめぞん

【 Life is ... 】

0コメント

  • 1000 / 1000