日常にも、たまに奇跡の瞬間がまぎれこむ。
それは、文ちゃんとの別れという悲しい出来事からちょうど3週間にあたる土曜日だった。
私以外の家族はみんな予定があって、昼食後ひとりになった。
いや、正確には、はなちゃんもいたのだが、安全のためひとり籠の中で遊んでいた。
私はキッチンで洗い物を始めた。
初冬の陽光が床に差し込んでいる。なんてことない静かな午後のはじまりだった。
私は嬉しいでも悲しいでもなく、淡々と洗剤がついた食器類を水で流していたんだと思う。
突然、キッチンの入口に、小さな影が降り立った。
私の足との距離は数十センチか。何気なく目をやると、ゆるい日だまりの中、フローリングの床の上に、白文鳥がちょこんと立っていたのである。
白文鳥は、にこにこ笑って私を見上げていた。(ように見えた。)
そのときの私の状態がいまひとつ説明がつかないんだけど、私はすぐに、それが文ちゃんだとわかった。
なのに驚きもせず、冷静に、
文ちゃん、床を歩くと危ないよ。気を付けてね。
と、声をかけた。
文ちゃんが生きていたころと同じように。
水を止めてもう一度目をやると、もうその姿はなかった。
我にかえって、たった今、自分がすごいギフトをもらったことを悟った。
文ちゃんが会いに来てくれた!
その嬉しさと、今彼の魂はどうやら元気にしているらしいという安堵感とがごちゃまぜになって、
と同時に、なんであのとき洗い物なんか放り出して、抱き締めてあげなかったんだろうと激しく後悔もした。
またいつかこんな機会が訪れるだろうか?
ちなみにはなちゃんはその間当然だがさっきと同じように閂がかかった籠の中にいた。
霊感も何もないと思っていたが、この年齢になって初めて幽霊というものを見た。
それも小鳥の!!
もちろん、少しも怖くはなかった。何しろ文ちゃんだし、小鳥なので。
だからまた遊びに来てくれないかなと願っている。
この話を家族にすると、誰も否定はしなかった。
理系の長男と次男は共にふうん、と言っただけだが、笑ったり見間違いだろうなんて言わなかった。
夫は夫で、それは文ちゃんがもう生まれ変わったことを伝えに来たんだよと言った。
そうかもしれない。場所がわかれば迎えに行くんだけどな。
写真は、生きていたころ文ちゃんがお気に入りだった寝場所: 掛け時計の上。
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