知人からの年賀状が、だんだん健康(病気)報告となりつつある。
お互い微妙な年頃になってきたということだろう、と苦笑する。
そういう私も、実は、年明け早々入院していたのである・・・
緊急性はない、もともと予定されていた検査入院ではあるが。
このところ毎年夏になると眩暈がひどかったのだが、昨夏のは特にしつこかった。
秋になっても治まらない。例の睡眠不足かと思ったがそういうわけでもなく。
ぐずぐずしてるうちに、会社の健診で案の定引っかかってしまった。
血液検査である数値が基準を大きく上回ってしまったのだ。
観念して近所の内科に行く。そして専門の病院を紹介してもらった。
とっくに忘れていた持病の再発だった。
(ちなみに眩暈とは全然関係ない・・・らしい)
これといった自覚症状がなかったので、正直なかなか決心がつかなかったが、
家族に説得されて2泊3日の検査入院をすることになった。
はぁぁ。
富士山の見える大きな病院。
病室の窓からは、朝日が昇ってから夕方日が沈むまで、常に明るい陽光が差し込んでいた。
二日目に行われる恐怖の検査を除けば、特に何かを禁止されるわけでもなく
だらだら横になり、時間が来ればデザート付の食事をいただいて
仕事から離れのんびりと過ごせたのはありがたかった。
旅先ではなかなか眠れないことがあるのに
(しかも病院という生死に関わる特殊な場所なのに)
ぐっすり眠れたのは不思議だった。
朝早くから夕方まで、仕事を休んで夫が付き添ってくれたのも心強かった。
でもまぁ、検査とはいえいちおう患者という立場で入院してると、
自分がほんとに病人になってしまった気分になるのが困りもので。
(医学的には立派な?病人なのかもしれないが)
周りには同様の病気で最悪の状態になってしまった人もいるから余計・・・、
彼らと話をして考えが変わった部分もあるけど
(治療法について、いま私のすべきこと、最優先事項がわかった)
でも心の中では、あくまで健康な私でありたいと思った。
油断はせずに、きちんと治療は受けつつも、心の中だけは。
私が思う確実なこと、
この世界には、病気をはじめ私が困った状況になることを願う人は誰一人としていないということ。
お医者さん、病院スタッフの方々をはじめ、家族、友人知人、故ぶんちゃんに花ちゃん、みんな私が健康であることを願ってくれてる。
(知らないだけで実はひねくれた人もいるかもしれないが)私に関わる人々とは、お互いの幸せを願える関係だと信じている。
それに気づいたら、もう感謝しかないよね。
それは、この文を読んでくれているあなたも同じことだと思う。
あなたが健康で幸せなことは、世界にとっても喜びなのでありますよ。
で。
予定どおりのスケジュールで退院できた。
あとは数日後に出る結果を待つだけなのだけど・・・
問題なければいいなぁ。
今年はこんな年の始めだったので、この流れで?何か新しいことに挑戦してみようかなぁと。
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