えんぜるになりたい
花になりたい
八木重吉『花になりたい』
ほんとは”えんぜる”に傍点が付くのですけど。
誕生日の朝、実家の母より届きました。
・・・昔はこんなことする人じゃなかったので、嬉しかったけれども
少々戸惑いもしました。
うむむむ。
明治生まれの祖母に育てられただけあって礼儀にはうるさい人なので
早速電話しました。不在だったので、夜かけたら父が出て
「まだ仕事から戻ってない」と。
母は世間的には高齢者なんですが、未だに仕事をしています。
若い人でも大変な水仕事です。
しばらくして、母のほうから電話がありました。
私はありがとう、とても嬉しかったと伝えました。
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母に対しては最近、複雑な思いを抱くようになっていました。
ある程度の年齢になってくると
親に対してこれまで感じなかった
(というか自分が感じていることに気づかなかった)
さまざまな負の感情が湧き出てくるようになるって
聞いたことがありますが、それなんだろうと思います。
子供時代の悲しい記憶が蘇るたび
私は傷つきます。
子供の私にとって、母は絶対的な存在でした。
もっとはっきり言うなら、恐怖ですらあり
私は振り回されっぱなしでした・・・だから
怒りをこめて
貴女の子育てはどうよ、って言いたくなるのです。
貴女は少なくとも今の私よりは立派な親だったかもしれない、でも
感情的すぎたよね。
そしてその強烈ネガティブな刷り込みをされたおかげで
私はこんなに自己否定する人間になってしまったよ、
人生ずいぶん損しちゃった、
と文句の一つも言いたくなるのです。
しかし、
今度こそ言ってやろう、言ってやろうと思いながらも
電話口で明るい母の声を聞くと
何も言い出せない。
言い出せないんですよ・・・
怒りより哀しみより、
母の年齢は重い。
このお花送るのに、何時間働いてくれたんだろう。
泣けてくる。
ありがとう。
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